帝王切開はダメで自然分娩がいい?僕が子どものときに思った話。

持論

ネットニュースなどでたまに見かける出産の論争がある。

帝王切開はダメで通常分娩で生んだ方がいいという意見だ。これに対して賛同する人もいれば反対の人もいる。色んな意見があるのは当然だろう。

僕は男なので出産の経験は無いわけだが、僕が子どものころに思ったことを含めて持論をまとめたいと思う。

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帝王切開と自然分娩に対する意見。

僕がいつも疑問に感じるのは、参考記事のような帝王切開を否定するかのように、自然分娩を勧める人がいることだ。

参考「ユッキーナみたいに挑戦しないの?」帝王切開ママが2人目に決めた産み方

自然分娩を推奨する意見を見ていると、自然分娩は陣痛の痛みや苦しみを感じ、まさに命懸けでお腹を痛めて生む行為である。それに対して帝王切開は陣痛の苦しみや、産道を通って生まれる過程が無い楽な出産である。なので自然分娩が良い、という論調だ。

そこにはお腹を痛めて生んだ我が子だからこそ、愛情が深くなるとかいう神話もあるようだ。

本当にそうなのか?

確かに自然分娩で生むのは苦しいと思う。だからといって帝王切開は楽だと論じるのは早計だろう。出産というものは全てがそのときそのときの個別のケースになるわけで、痛みや苦しみも人それぞれ。単純に自然分娩と帝王切開を並べて痛みを比較できるものではないはずだ。

仮に自然分娩の方が痛くて苦しいのだとしても、その痛みや苦しみを正義として、自然分娩を押し付ける論調には僕はものすごく違和感を感じる。

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僕は帝王切開で生まれた。

僕が幼稚園の頃かな。母のお腹を見てとんでもなく大きなキズがあることに驚いて「これ、どうしたの?」と聞いたことがある。

すると「あなたを生むときにどうしても手術が必要だったんだよ。」と笑顔で答えてくれた。

子供心にビックリした記憶がある。僕を生むためにお腹を切って生んだの?そんなに大きなキズができるぐらいにお腹を切ったの?痛くないの?と。

子どもの僕には、童話のオオカミがお腹をハサミでチョキチョキ切られる場面が思い浮かんで、痛くて痛くて仕方がないイメージしか湧いてこない。

それこそまさに命懸けで生んでくれたことが伝わったのだ。子どもの僕には手術の傷あとはものすごくインパクトのあるものだった。

のちに僕の出産の話を聞いたのだが、自然分娩で出産していたところ、お腹の中で体勢が変わってしまい、へその緒が首に巻き付いた状態になってしまった。そのまま出産するのは危険だと判断して、帝王切開に変更したそうだ。

当然、僕には全く記憶が無いが、母はその出産時に臨死体験のような不思議な経験もしたらしい。

話が少しそれたが、僕は帝王切開で無ければ生まれていない。その技術があったからこそ無事に生まれることができている。

そんな僕には帝王切開より自然分娩の方がいいという論争を見ると、なんで?という気持ちになってしまう。

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母の決断と愛情。

母は僕を生むためにお腹を切るという決断をしてくれた。あんなに大きなキズが残るのに僕を無事に生むために自然分娩を帝王切開に切り替えた。

そんな僕は産道を通った子より、愛情が少なく育てられただろうか。

そんなことは1ミリも感じない。

母からはこれでもかというほどの愛情をもらった。

そんな僕の持論としては、帝王切開も自然分娩もどちらとも尊いものであり、そこに優劣は存在しないというものだ。

母は僕を生むことを一番に考えて帝王切開を決断した。それが子どもの気持ちからすると一番大切で嬉しいことに感じる。

最初から自然分娩と決めようと帝王切開と決めようと生んでくれるだけでありがたいと思う。どちらがいいとか悪いとかで論じることはできない。

つまりどちらの生み方も他人に押し付けることができるものではなく、自分のために、そして子どものために決めるものだと思うのだ。

僕は出産を経験することはできないが、帝王切開でこの世に生まれることができたからこそ、自然分娩を押し付ける意見には寂しさを感じるんだよね。

持論
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うるくん

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